赤城神社演武について | 天然理心流 勇武館 | 北辰一刀流 玄武館 | 無外流居合 鵬玉会
プレスリリース メディアの方へ | お問合せ







無外流居合 鵬玉会
公式ホームページ




新選組幹部の剣、無外流
新選組の母体、現在の東京都新宿区市谷柳町25番地にあった「試衛館(しえいかん)」。
そこには、近藤勇(後の新選組局長)、土方歳三(同じく副長)、沖田総司(同じく1番隊隊長)、斎藤一(同じく3番隊隊長)、井上源三郎(同じく6番隊隊長)、藤堂平助(同じく8番隊隊長)、山南敬介(同じく総長)らがいました。
うち、斎藤一は無外流とされています。




元禄に生まれた、大名が学ぶ剣 剣と禅と

無外流の流租は辻月丹資茂(つじげったんすけもち 幼名:兵内)。剣聖宮本武蔵が没して三年。遅れてきた剣豪です。

若くして学んだ山口流の免許の認可で江戸に道場を構えたものの鳴かず飛ばず。「学問と心の修養が必要だ」と感じた辻月旦は、麻布吸江寺で参禅することになります。
45歳で悟りを開き、禅の師、神州和尚からいただいた偈(げ)の一節「一法実無外(一法実に外無し)(いっぽう じつに ほかなし)」から無外流と名をつけました。

臨済宗の禅僧であり、花園大学の学長でもあった大森曹玄はこの一節をこう解釈しています。
「一即ち絶対の真理とか、真実の道とか言われるもの以外は何も無い。全てはこの一、即ち絶対の現れたものである。 」ここに無外流が誕生することになりました。

居合は多賀自鏡軒に学んだものの、この自鏡流居合を修めたのは無外流一門であったため、いつからか無外流居合という言葉が生まれたといいます。
月丹の弟子は、万石以上の大名32家、直参156人、陪臣930人。無外流が「大名が学ぶ剣」と言われたゆえんです。

また、大名自身が学んだことから全国に広がりました。そのうち、姫路藩に伝わった系譜は、11代藩主酒井忠以(ただざね)の自鏡流居合の稽古相手に選ばれた、高橋八助充亮により蘇ります。
酒井家江戸屋敷に生まれた彼は、藩主の命で江戸の都治文左衛門資賢、都治記摩多資幸に学び、無外流を修めることとなりました。
この系譜から明治から昭和初期の剣道家で「警視庁の三郎三傑」と言われたうちの一人、高橋赳太郎が出てきます。高橋伝の無外流は中川士竜(石井悟月記載ママ)に伝えられ、現代の無外流では有名な塩川先生や岡本先生、そして「斬れる居合」に徹底してこだわり、形で斬り、実戦的な組太刀を追及する新名玉宗明思派宗家に繋がっています。


無外流居合 鵬玉会
公式ホームページ
 




文久3年以前、青春の新選組幹部達


無外流居合 鵬玉会 会長 武田鵬玉

戊辰戦争から150年。
上京前の、まだ若い彼らが闊歩していたのがこの近所であること、そして近くのこの赤城神社に参詣したり、ふらりと散歩したであろうことを想像すると楽しくなります。

天然理心流勇武館の宮川宗家とお話をしていたときに、その話になり、「勇が投降することになった下総流山、そこで分隊が宿舎にしていた光明院の先には同じ名前の赤城神社があります。そこで自分たちの青春時代を思い出したかもしれませんね。」という会話を交わしました。

ご縁ができ、昨年は会津松平家14代ご当主松平保久(もりひさ)公の御前でも勇武館様と演武をすることができました。
東芝や東映のお話をいただいたのも、新選組の幹部の御霊の後押しをいただいたのかもしれません。
今年は北辰一刀流玄武館様も合流くださり、さらに強力になりあした。
青春の地で演武を奉納することができる喜びをかみしめながら、責任を果たしたいと思います。





戊辰150Project All rights reserved.